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blueprint / memories
ま だ 歩 き 出 さ な い
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2022.6.9
隔たりの青 |
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"The Blue of Distance"
子どもにとってつまらないものがあるとすれば、それは隔たりだ。ゲイリー・ポール・ネブハンは、子どもをグランドキャニオンに連れていったときに「多くの時間を費やしてパノラマのような景色や見晴らしを眺めている」のは「大人」だと気がついたと書いている。「その一方、子どもたちは四つん這いになって、すぐ目の前にあるものに心を奪われていた。われわれ大人は抽象によって旅していたのだ」。...
...また、崖に近づくたびに、息子も娘も「父の手をいきなり降り解いて、地面に落ちている骨や、松ぼっくりや、きらきら光る砂岩のかけらや、羽毛や、花を探しまわるのだった」。幼年期には隔たりがない。赤ん坊にとって隣の部屋にいる母親は永遠にどこかへ行ってしまったのと同じことだ。幼児にとって誕生日が来るまでの時間は無限だ。そこにないものはすべて、ありえない、二度と手に入ることのない、手の届かないものになる。...
...その内面の風景はにぎやかな前景からいきなり壁につきあたる中世の絵画のようだ。隔たりの青は、時間とともに、メランコリーや喪失の発見、あるいはあこがれの感触、わたしたちが横切ってゆく大地の複雑な紋様、そして旅に捧げられた年月とともにあらわれる。仮に悲哀と美が分かち難く結びついているとしたら、わたしたちが成熟とともに獲得するのはネブハンが抽象と呼ぶものではなく、おそらく、時間とともに失ったものを少しだけ埋め合わせてくれる、遥かな隔たりに美を見出させてくれる感受性ではないだろうか。
text:"The Blue of Distance"
レベッカ・ソルニット『迷うことについて』(東辻賢治郎 訳)より抜粋
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