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blueprint / memories
ま だ 歩 き 出 さ な い
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2022.7.16
ドアを開けること |
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"ル=グウィンのエッセイ"
「物事はどうして現状のようなのだろう? こういうふうでなければならないのだろうか? もし、こうじゃないとしたら、どんなふうだろう?」このような問いを発することは、現実の偶然性を認めること、あるいは、少なくとも、現実に対する私たちの知覚が不完全かもしれず、それに対する私たちの解釈も恣意的であったり、間違っていたりするかもしれないということを認めることだ。
哲学者たちから見れば、私が言っていることは、子どもじみていて愚かだということはわかっている。だが、私の頭では哲学者たちの議論についていけないし、ついていきたいとも思わない。だから、愚かなままでいくしかない。...
...哲学の訓練を受けていない普通の人にとって、この質問――どうして物事はこのようでなくてはならないのか、今、ここにあるような、あり方でなくてはならないのか、こういうものだと教えられてきたような、あり方でなくてはならないのか――は、重要な問題かもしれない。ずっと閉じられたままだったドアをあけることは、重要な意味のある行為だ。
アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて/ル=グウィンのエッセイ』(谷垣暁美 訳)より抜粋
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